ルイス・フロイス自身の年表と関連する歴史上の出来事を統合した一覧_後編
1568年9月 | 織田信長、天下布武への大義名分として足利義昭を奉戴し上洛開始 |
1569年 | ロレンソ了斎が畿内に戻る |
1569年 | 二条城の建築現場で織田信長とルイス・フロイスが初対面 |
1570年 | ガスパル・ヴィレラがインドへ出発 |
1570年 | 織田信長の朝倉義景討伐 |
1571年8月28日 | ルイス・フロイス懇意の武将、和田惟政戦死 |
1573年3月 | 松永久秀が足利義昭と正式に同盟 |
1573年4月 | 武田信玄病死 |
1573年7月 | 足利義昭が追放されて室町幕府滅亡 |
1573年8月13日 | ルイス・フロイス懇意の武将、篠原長房戦死 |
1573年11月 | 多聞山城を差し出すことで松永久秀が再び織田信長に降伏 |
| 天正5年(1577年)10月5日~10月10日 信貴山城の戦い |
1579年5月 | 完成した安土城天守に織田信長が移住(天正7年4月) |
1579年7月25日 | アレッサンドロ・ヴァリニャーノ日本上陸 |
1579年11月19日 | 織田信長が二条新御所へ誠仁親王を住まわせる(天正7年11月1日) |
1581年2月18日 | 安土城の馬揃えで爆竹(天正9年1月15日) |
1581年3月27日 | 弥助が織田信長に仕官(天正9年2月23日) |
1581年4月1日 | 京都御馬揃え(天正9年2月28日) |
1581年4月26日 | 徳川軍高天神城奪回(天正9年3月23日) |
1581年6月 | 織田軍越中侵攻 |
1582年2月3日 | 武田討伐-木曾義昌の寝返り、織田軍先鋒隊岐阜城出陣 |
1582年2月20日 | 天正遣欧少年使節長崎出港 |
1582年4月3日 | 武田氏滅亡(天正10年3月11日) |
1582年6月5日 | 徳川家康が安土城を訪れる(天正10年5月15日) |
1582年6月19日 | 織田信長上洛(天正10年5月29日) |
1582年6月21日 | 本能寺の変(天正10年6月2日) |
1582年7月2日 | 山崎の戦い・安土城焼失 |
1583年 | ルイス・フロイスは宣教の第一線を離れて日本史の編纂に集中 |
1587年3月19日 | 細川ガラシャの洗礼 |
1587年6月19日 | 豊臣秀吉のバテレン追放令発布、ルイス・フロイスは畿内を去って加津佐を経たのち長崎に落ち着く |
1590年7月21日 | 天正遣欧少年使節長崎帰港・ルイス・フロイスはヴァリニャーノに同行して聚楽第で秀吉と会見 |
1592年 | ルイス・フロイスはヴァリニャーノとともに一時マカオに渡る |
1595年 | ルイス・フロイスが長崎に戻る |
1597年 | 『二十六聖人の殉教記録』を文筆活動の最後に残し、7月8日没、65歳 |
| ※1592年4月~1598年12月 文禄・慶長の役 |
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ルイス・フロイス(Lui's Fro'is [luˈiʃ frɔjʃ] 、1532年 - 1597年7月8日)は、リスボン生まれのポルトガル人、イエズス会員でカトリック教会の司祭、宣教師である。『日本史』を執筆した。 Wikipediaの記述はたったこれだけで...
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※ 原著者名がないものはルイス・フロイスの著作の翻訳 柳谷武夫訳 『日本史 キリシタン伝来のころ』(全5巻) 平凡社 (東洋文庫)、1963~70年 松田毅一、川崎桃太訳 『日本史』(全12巻) 中央公論社、1977~80年 『完訳フロイス日本史』として中公文庫に収録 ...
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about: ルイス・フロイス自身の年表と関連する歴史上の出来事を統合した一覧_前編 ルイス・フロイス自身の年表と関連する歴史上の出来事を統合した一覧_後編 参考文献